大手運送会社のサラリーマンから、原宿にアンティーク店を出すまでの出来事を少し書いておきます。それは…、
長谷川さん。
どうやって原宿にアンティークのお店を出せたのですか?
という質問をときどきされたので、参考にはならないとは思いつつ「アンティークハセガワ原宿店」を出店するまでを書いておきます。
アンティークハセガワ原宿店を開店
私は新卒で大手運輸会社に勤めていました。
アンティークの世界に入るきっかけは、西洋骨董品を扱う友人に手伝ってもらえないか?と声をかけてくれたのが始まりでした。
骨董屋見習から買付け
2910
私は西洋骨董屋の友人の見習いとして、アンティークディーラーの世界に入りました。
何度か友人のヨーロッパへの買い付けに同行させてもらいました。
- アンティークマーケット
- アンティークフェア
- 骨董店
などを廻りました。
骨董品の買付けは、とくに
- キズ
- ヒビ
- パーツの欠損
などを見落さないことです。
また、古色した新物を入手した失敗も何度かありました。何度も失敗を重ねながらも、だんだん売れる商品を買い付けができるようになりました。
見習から独立
2915
ヨーロッパやアメリカのアンティークマーケットなどをたくさん回り、数えきれないほどの現物に接しました。また、あかりに関する日本の本や洋書の専門書からも多くの知識を得ました。
それやこれやで、何とか一人前の西洋骨董屋として、独立することができました。しかし、店舗をかまえるまでの資金の余裕はありませんでした。
催事から出店まで
2914
売るためには札幌から沖縄まで全国の百貨店で催事に出品しました。また、東京、横浜、名古屋、京都などの骨董市に出店もしました。全国を飛び回っていました。
独立した当初は、売り上げを上げるために、西洋アンティーク全般なんでも扱っていました。
あかりのコレクターの知人・顧客も多くなり、燈火器に関心のあるお客様が増えてきました。
また、お客様からも豊富な情報や知識を得ることができました。この頃までにはアンティークの中でも、あかり関係のアイテムにこだわるようになりました。
まだ多少の不安もありましたが、西洋燈火器専門店として商いをすることに決めました。
アンティークハセガワ原宿店・開店
写真2886
独立してから約10年、そろそろ自分の店を持ちたいと思っている頃でした。京セラビルの地下商店街に4坪ほどの小さな物件を見つけました。
小さな店ですが、東京・原宿の地下鉄・神宮前駅近くに自分の城を持つことができました。
2917
アンティークハセガワ原宿店をしていた頃、あかりに関心のある人たちの同好会である“照明文化研究会”に入会しました。
高名な諸先輩方との出会いや、あかりの美術館、資料館を訪ねたりして一層、あかりについての造詣を深めることができました。
アンティークハセガワ原宿店・まとめ
小さな店でしたが、日本で唯一の西洋アンティークランプの専門店でした。売上も、店舗の割にはうれていました。
3年ほど過ぎた頃、ヨーロピアンランプミュージアムを開設する話が飛び込んできました。いつか機会があれば、私もミュージアムを運営したいと思っていました。話はとんとん拍子に進みました。
わずか3年半のアンティークハセガワ原宿店の営業でしたが、ミュージアム開設にともないアンティークハセガワ原宿店を閉じることになりました。