あかりの歴史を語るなかで、ガス燈の時代も忘れることはできません。
西洋のガス燈、日本のガス燈、日本各地のガス街路灯ならびに自宅玄関のガス燈とガスミュージアム設立の夢などをまとめてみました。
西洋のガス燈の歴史
ガス燈の燃料は石炭を蒸留して発生するガスです。スコットランド人のウィリアム・マードックが1797年イギリスのマンチェスターでガス燈を設置したのが始まりといわれています。
1807年にドイツ人のウインザーがイギリスのロンドンでガス燈の点灯を行い、1812年にはガス会社を設立しました。
最初のガスバーナーは、ガス管に小さな穴を開けただけの裸火でした。
ガス燈を街路灯に
その後工夫され、
- 魚尾型
- 鶏冠型
- 蝙蝠の翼型
などいろいろな形が作られました。
バーナーも改良され金属製から陶器製へと変わり、一段と明るくなりまた。
イギリスでは、1815年ごろからガス燈は都市において、街路灯として急速に普及し、1840年には200の市町村にまで及んだと言われる。
ガス燈を室内灯に
1887年にオーストリアのフォンウェル・バッハが白熱マントルを発明しました。
白熱マントルは人絹などに発光剤を吸収されたものです。白熱マントルはそれまでの裸火のガス燈に比べ、5倍も明るさが増しました。
ガス燈は室内灯としても広く普及し始め、ガラスの笠の使用も増えました。この頃、ガラスメーカーは石油ランプ用のシェードやガス燈用のガラスシェードなどを競って製造し、照明器具は19世紀後半以降のガラス工芸の発展に多大な影響を与え、電灯の笠にも引き継がれていった。
日本のガス燈の歴史
我が国における最初のガス燈は、1857年、薩摩藩島津斉彬公が磯庭園の石灯篭に点火したのが始まりと言われています。
始めての街路灯としては、明治5年(1872年)に横浜でフランス人プレグランによる点灯がわが国初とされています。ロンドンでガス燈が点灯してから、60年ほど後のことである。そして明治7年に東京の銀座通りにガス燈が灯された。
ガス会社の設立
明治20年、東京電灯会社が営業を始めると、激しい競争時代を迎えます。
明治30年代になり、ガスマントルが国産化され、カーボン電球よりさらに明るくなります。
その後、東京、横浜、神戸にしかなかったガス会社が全国各地に設立され、ガス灯はあかりとして全国的に普及していきました。
しかし、明治44年にタングステン電球の国産が始まると、ガス燈は完全に電灯に取って代られ、あかりの使命を終え、熱源としての使用に変わっていきました。
現在の日本各地のガス街路灯
現在、日本でガス燈の見られる主な都市を紹介します。
- 北海道 小樽運河沿い
1895年(昭和60年)59基設置、現在63基のガス燈 - 仙台 駅前通り
1987年(昭和62年)117基設置、2017年8基のみガス燈を残し94基はLED電球に交換 - 宇都宮 シンボルロード
1987年(昭和62年)~1991年(平成3年)50基設置、平成20年35灯は電気灯に変わる - 横浜 ガス灯プロムナード
1985年(昭和60年)山下公園通りに明治初期当時のモデルをデザインした自動点火・消灯型の40基、万国橋通り18基、馬車道通り40基整備された。
2019年に馬車道から、山下公園まで一連のガス燈整備が終わり、ガス灯プロムナードが完成しました。現在、149基のガス燈があります。横浜市のホームページ・トップよりこの記載のあるpdfにたどり着くのが難しいですね。こちらをクリックして読んでください。
- 大津市 琵琶湖畔
2019年現在、大津市内5つの地域に41基、大津市産業局が管理 - 長崎市 思案橋通り
1983年(昭和58年)27基設置 - 鹿児島市 歴史と文化の道
75基 市道路管理課が管理
ガス燈の維持費
ガス燈維持のコストは、マントルを一年に1~2回の交換やメンテナンス費用です。電灯よりかなり維持費は高いですが、ガス燈の温かみのある光に比べればあまりあります。ガス燈はぜひ残していきたいあかりです。
コレクターのガス燈博物館をつくりたい
1996年ごろ、私の店に2~3本のアンティークのガス燈がありました。
日本製のガス灯を収集しているお客様が来店し、
実際に灯して見せるガスのミュージアムを作りたい。
と語り、外国製のガス灯を探してほしいと頼まれました。
このお客さんは日本全国にガス燈を設置しているガス会社の社長さんでした。
そのころ私の知っているガス街路灯のあるところは、
- 小樽運河沿い
- 山形の銀山温泉
- 横浜の山下公園
- 金沢の茶屋街
などです。
それぞれが、街並みに溶け込んでいるガス燈を見て、旅行先で大正ロマンのノスタルジーを感じていました。
昭和60年ごろから全国に設置したガス燈は、1992年(平成4年)現在において600カ所以上、6000本以上が既に点灯していることを知りました。
その社長さんからの注文は、
点灯可能なアンティークのガス灯で、
尚且つ、
古いだけでなく、
美術工芸的にも貴重な価値のある室内灯を見つけてくれないか
との注文でした。
幸いにして、ロンドンで古いガス灯を電気に改造している店を探し出すことができました。
改造前のガス灯が欲しい。
こちらの意図を理解してくれて、使用可能なガス灯を集めてくれるようになりました。
錆や汚れのついた金属部分も磨きをかけて見違えるようにきれいに仕上げてもらいました。オリジナルのシェードもありましたが、美術工芸的にも価値のあるシェードも電気用のシェードに交じっているガス灯用のシェードを探し出したりしました。
ガス灯は、この社長さんだけのための仕入れです。ほかに売れる自信はありませんので、慎重な買い付けをしなければなりません。買い付けたガス灯はすべて納品することができました。おかげでガス灯の在庫はいつもゼロでした。
それゆえ、私がアンティークショップを閉店し、那須のミュージアムを開館したときは、私のコレクションにガス灯はありませんでした。
コレクターの夢はガスミュージアムへ
その後、ガス燈博物館計画はいつの間にか消えてなくなってしまいました
ガス会社の社長が集めたガス灯達は、東京・小平市にある東京ガス株式会社(東京瓦斯株式会社)が運営するガスミュージアムに収まっています。
ガス燈を見たい方はぜひ見学に行くことをお勧めしますよ。
ガスミュージアムの住所と地図
ガスミュージアムの住所:
〒187-0001 東京都小平市大沼町4丁目31−25
TEL:042ー342ー1715
ガスミュージアムの地図:
自宅玄関のガス燈
ちょうどそのころ(1998年)、私は家を新築することになりました。
ガス燈を注文した社長宅の玄関にはガス燈があります。ガス燈のあかりに魅了された私は、自宅の玄関にはガス燈を付けたくなりました。
玄関灯はガス燈にしたい。
ガス工事一式を依頼したときに、
我が家の玄関もガス燈を設置したい。
自宅にガス燈を設置していた社長の会社に設備工事を依頼し、ガス燈も取付してもらいました。
残念なことは、我が家のガス燈はアンティークではありません。
家の建築を決めてから、ヨーロッパの買い付けに行くたびに、アンティークのガス燈を探しました。しかし、好みのガス燈は見つかりません。仕方なく妥協して、現在製造しているイギリスのガス燈でガマンしました。
現代もののイギリスガス燈でも、灯をつけたガス燈のガスが放つ温かみのある光は、ロマンを十分に感じさせてくれます。
ガス燈・まとめ
明治から大正時代にかけ、都市の道を明るく照らしたガス燈も昭和期に入り、電灯に変わってしまいました。
ガス燈のもつ温かみのあるあかりはいつまでも人々の心にロマンを持たせます。今、各地にガス燈が設置されていますが、街に溶け込み、歴史と伝統を感じることができ、観光にも一役買っています。
現在は現役を引退しましたが、お聞きになりたいことがあれば下記のメールでご連絡ください。